今の自分には誇りが持てないから

ずっと日記を休んでいました。
それは今の自分に誇りが持てなかったからです。
私にとっての唯一の心の支えは漫画です。
なにもかも上手くできないけど、
せめて漫画だけは頑張っていこうという考えだけが心の支えだったので、
「まんがを書いていない」つまり
「日記で公開しているやられまんの漫画のネームを書いていない私」
がずっと認められませんでした。
それで、ネームはもちろんあきらめず書いていく予定なのですが、
ネームができるまで、
私は自分の言論に責任がもてないんです。
責任というのは
自分のコトバになにか間違いや思い込みがあったときに
ちゃんと反省したり、やっぱり違う!って抗議することだったり、
要するに自分と向き合うことです。
それを今しようとすると
「お前はどうせまんがが描けない駄目人間なんだから、なにも言う資格も考える資格もない」
という呪文が頭によぎってストッパーがかかってしまうんです。
「漫画かけないから駄目人間」という考え方自体かなり歪んでいるんだろうなと
思うのですが、やっぱり私は今の自分を好きになりたいし、
誇りをもちたいんです。
だから、ネームができるまで、
ラジオのアシスタントはお休みしようと思います。
新しいスタッフの方々がいらっしゃりますし、
しゃべりも新鮮で私より全然上手いので
誰か新しいアシスタントをやってくださらないかな〜と
思ってます。(そのままずっと別のアシスタント変更に
なってもかまわないかなと考えています)
ラジオ見学についてはこれからもちょくちょく行かせて頂きたいなと
考えています。
ラジオで知り合った方々に私はずっと助けられてきたので
大切でこれからも付きあっていけたらと思っているのと
やっぱりいろんな人の意見等を聞いていきたいので、。




ネームが描けなかった経緯について



いろいろ日記が途絶えたり、ネームが描けなかったりで、
友人等が心配してくれてメールをくれたり電話をしてくれたりしたので、
今かける範囲で記します。

多分心配してくれている方は
私がネームが難しくて苦戦して苦しくなって挫折して描けなくなってしまったと
思っているのではないかと思います。
確かにネームは難しいし、描いたら苦戦すると思います。
でも、実はそれ以前の問題で、
私はネームをまだ書いてすらいません。
言い訳にすぎないとは思うのだけれど、
それはやっぱり時間と体力と精神力と計画性がなかったからです。
ネーム以前の箱書きまでは文字だけなので、パソコンや携帯でほいほいできますが
ネームは絵や吹き出しを想像して紙に描かないといけないので、
完成させるにはまとまった時間の確保が必要でした。
けれども、ネーム作業に入った段階で(4、5月ぐらい)
学校がはじまり、しかも学年があがり課題が増えました。
しかも学校が課題を1つでも落とすと即留年するので、
ないがしろにできません。
でもネームやイラストの仕事をやる時間を確保するために
何日も徹夜して必死に課題やって、時間をつくって、イラストの仕事をやって
さあ、本命のネームをやろうという時には、もう体力の限界がきてて
熱をだしたり、嘔吐したり、疲れでカラダが動かなかったりで毎回なにかしら
病気になって、それを治すのに数日ついやしてしまう。
そして、治ると、また学校からの課題がでて、たまって、そんで必死にやって
イラストの仕事をやって、また病気になっての繰り返しでだんだん
頭の中が訳がわからなくなって。
んで、ヤバいとおもって、
いつも毎週いっていたラジオ見学を休んで、
その時間をつかってがんばっていたんだけど、(出演日はいったけれど)
それでも間に合わなくて。
そしたら、常に身体が「疲れている状態」になって、
集中力が出なくて、
私にとってはネームの次に大切な
アシスタントになるための勉強も思うようにできなくなって、
自分のするべきことは漫画描くことやアシスタントの勉強をすることなのに
1つもできてない自分は一体なんなんだろうって
思えてきた。
こんな感じで今に至っています。
心配して私にメールをくださった方、
返事を送れなくてすみません。
今、自分が何を言おうが結局言い訳臭くなってしまうのが嫌で、
メールできませんでした。
現在私は、まだ詳しくは言えませんが
(言うと誤解を招きそうなので)
現在の生活スタイル
(学校を行き続けつつ、イラストの仕事しつつ、ネームをする)
に限界を感じていくつか切り捨てようと考えています。
まだ準備段階なので、どれをどう切り捨てるかは詳しくは言えませんが、
私の目標は夏中にはまんがを完成させてもちこみにいければと考えています。
なのでまたしばらくしたらブログ再開するのでまたよろしくお願いします。
メールもちゃんと返事したいと考えています。





↓下の画像はときわ荘関連の「アシスタントトレーニング講座」の課題の絵です。
全3回全部参加しました。疲れがすごくて、全力がだせなかったので
いろいろ後悔はありますが、参加できてすごく勉強になりました。
誘って下さったコトバノアトリエのスタッフの方には本当感謝です。
すごく助かりました。
もっと勉強してアシスタントになりたいです。

放送失言について

あと1、2週間くらいブログをお休みする予定でしたが、
ちょっとトラブルがあったので
今回は例外的に更新します。

また失言をしてしまいました。今月のあまね丸のニートフルライフで。

すくなくとも自分で認識してるミスは2点

1、リスナーにあまね丸くんイメージを勘違いさせるようなことをいってしまったこと。
2、その日の多分夏目さんのコーナーをだめにしてしまったこと。
です。

2は1の件で、ちょっと言い合い(?)になったので、
それで夏目さんのしゃべる量を減らしてしまったのではないかと考えています。
すみません。

それで、本題の1番。
あまね丸くんのイメージを勘違いさせるとは、ダイエットの話で、
夏目くんや、あまね丸くんが女の子はぽっちゃりしてた方がいいという話で、
「やはり今後結婚して子どもを産むようなことを考えると
自分はぽっちゃりとして健康な女の子の方が良い」
という意見に対して私が
「なんかそんなこと言われると子どもを産まない人は価値がないみたいで嫌だ…」
と言ってしまったことにより、
聞いた方にあまね丸くんが子どもを産まない女の人には生きてる価値がないと
いったように聞こえさせてしまったこと。
あまね丸くんは多分単にぽっちゃりとしている人が好きといいたかっただけで
感情的になってしまった私のせいなので、
あまね丸くんがもし「子供を産まない女の人に価値がない」と解釈されてしまっていたら
それは違うのでよろしくおねがいします。
自分自身もあまね丸君がそうでないことは長いこと会っていてなんとなくわかる。

ただ、今日カウンセラーと相談したのだけれど、
なんであたしこんなことしちゃうのかなって考えてたら、
そもそも、ぽっちゃりとか子供とかは私のコンプレックスキーワードで
冷静でいられない話題なのかもしれないと思った。

まず、「子供」
私は子供を産む気がない。

理由はいっぱいある。

1 純粋に子供が嫌い。自分が子供の頃は我慢ばっかりしていたのに、
  わがままで親に愛される無邪気な子供がとてつもなく憎い。

2 虐待しそうだから。自分が親から愛をもらってないのに、
  愛し方も知らないのに自分がなぜ子供に無償の愛を与えなければいけないのか
  意味が分からない。

3 うちの母親みたいな親になりたくないから。
  自分の不幸を全部子供や他の環境のせいにして(私もだが、それでも嫌です)、
  自分の幸せのために人生を生きず、子供を教育することに依存して、勉強漬けにして追  い込んだ。
  (多分母親が自分の幸せのために生きれなかったのは、当時の時代背景と祖父母のせい。  でも、それでもゆるせない。)
  そして、そんな母親にはなるまいと思っていたのに、
  ある日近所の子供と一緒に居る時、私はその子に母親と
  同じひどい扱いを無意識にしたことがあるから。
  私も母親になったら同じことを繰り返すと思った。

4 漫画を描く時間を子育てにさきたくない。
  漫画家をやりながら子供を産んで育てている人も居るだろう。
  でも、私の場合はただでさえ歪んでいるので、
  子育ての力を抜くとうちの母親のように子供を追い込んでしまうかもしれない。
  少なくとも私が子供に虐待しないですむようにするには、
  周囲(児童相談所とか)の援助と自分の努力と時間が必要。
  漫画をかきつつそんな時間をさくのはキツい。
  むしろ「漫画が上手く行かないのはあんたのせい!」と恨んでしまいそうで怖い。

と言う理由で私は子供を産まない


そういう姿勢で子供のころからずっと生きてきたんだけど、
昔好きだった人が
なんか結婚の話題で、
「ボクは結婚したら子供が欲しい。
なぜなら、やっぱり自分の生きた証を残したいから」
といって、
私は子供を産まないから
生きた証が残せないから、
生きてる価値がないんだ。って解釈しちゃって
そしたらすごく悲しくなった経験があって、
自分には生きてる価値がない気がしてきて。
それが、「子どもを産むようなことを考えると
自分はぽっちゃりとして健康な女の子の方が良い」
という意見に対して私がそのときの気持ちを思い出して
過剰反応してしまったんだと思う。




次、ぽっちゃりって言葉。


わたしは二十歳くらいまではちょいポッチャリ体系で
さらに醜形恐怖だったので、常に食事を減らしたりして
やせようとしたり、でも、食べ物だけが自分のストレス解消だったり、
親への愛表現だったりで(私は教養がないのと文脈が読めないので、
親や親戚の会話にまともについていけなかった。だから親が作ったものや
親戚からもらったお菓子をお腹いっぱいでも、
不味くても美味しいといって食べることでしかコミュニケーションがとれなかった。)
食事制限してもすぐ我慢できず食べてしまう。
んで、さらに運動にもコンプレックスがあったから、
筋肉もなくて姿勢が悪くて服とかもどの服着ても決まらないし、
半袖を着れば脂肪だけのだらしない二の腕がでる。
ミニスカートも太ももがだらしなく垂れ下がればおばさんくさくなる。
そんな時代があって、男の人たちが私をみて「この女は勘弁だな、、。」とか
思っていたんじゃないかと思っていたので、私が頑張ってやせることにした。
んで、食事制限はむりだから、せめて運動でもしようといろいろ鍛えたら
53キロくらいだった体重が47キロになって、
ある程度筋肉がついたので、服も前よりは似合うようになって
オシャレもできるようになった。(ちなみに今はオシャレはしてないし、少し体重が増えた。笑)
そうすると今まであった頭痛とか肩こりも少なくなって、
気持ちが楽になって、でも骨格の問題なのか並み以上に飯は食べているんだけど、
頬がこけたりして、今度は逆にやせ過ぎだと言われたり。
でも、別に不健康ではなく、というか前より体調はいいくらいなので、
なんかジレンマというか、じゃあどうすればいいのよ。
という短期な自分がいたり。
だって、頭が痛くて太ってるより時は服も着こなせなくて辛くて、
男の子と話すのが怖かったもの。
でも、やせたらまず体調がすごく良くなったし、女としてみられているかは別として
路上で人にくすくす笑われたりしなくなったし、自分自身も以前よりは人と上手く接せられるようになったもの。
まあ、ようは自己満足なんだけど、、。大汗
そんなんがあったから、ぽっちゃりという言葉や「きれい」になる努力をする人をやや否定的にいわれると
なんか冷静になれない自分というのがいたんだと思う。
(きれいになる努力を男の人が否定的に言う場合、別に相手を否定している訳ではなく、そのままでも可愛いという
フォローの意味が強いことはわかっているのに、、。)
※きれいになる努力は空回りな努力も含む。
でも、よく、男の人が女の子を安心させるためにぽっちゃりしてる子が良いってくれる人がいるけれど、
(それ自体はものすごっくうれしんだけれど)
私はなんとなくそれを女の子が単純に受け取るのはなんか危険な気がする。
だって、男の子がみてるぽっちゃり体系の女の子と私タイプのぽっちゃりはちょっと違う。
男の子が見てるぽっちゃりは「健康的なぽっちゃりかつ女らしいもの」であり、
最終兵器彼女のチセちゃんみたいな感じ)
私タイプのぽっちゃりは「不健康なポッチャリ」であるからなのだ。
(ビジュアル的には映画「ジャーマン+雨」の主人公みたいな感じかな?
この子はまあ健康体なんだけど、、姿勢が悪い。表情筋が鍛えられてない。)
「健康的なぽっちゃり」はある程度筋肉があるので、
ふっくらしていてもカラダがしまっていて、ある程度はウエストもあり、肌色もよく、
元気でハキハキしているタイプである。
逆に「不健康なぽっちゃり」は
たとえ体重が「健康的なぽっちゃり」と同じ体重だとしても姿勢が悪いので、
くびれ等胸のハリ等、女性らしいものがうまれず、肌もカサカサでクマがあって
、猫背で疲れやすく元気がなく内向的タイプなのだ。
そんで、実際ぽっちゃりして可愛いとモテるのは
「健康的ぽっちゃり」さんなのだ。
だから、その「不健康なぽっちゃり」さんをうけいれてくれる王子様があらわれるなら、
そらハッピーなんだけれどそれってまれだ。
だから、もし男の人にそういうふうに言われても、
私はやっぱりその人の言ってるぽっちゃりと
私の考えているぽっちゃりは違うんだなとは思う。

、、、っと、
とにかく「子供」と「ぽっちゃり」は私のキーワードらしく頭の中が止まらなくなる。
多分それは多分自分が「生きた証を残したい」といった好きな人や
昔太っていることで誰かに嫌なことをされたときに、言い返せなくて、
でも不満はたまって、イライラして、ずっと口に出せなかったことが、
あまね丸君の内容がたまたま「ぽっちゃり」「子供」というキーワードを
含んでいただけで吹き出してしまったんだと思う。
私がしゃべってたことはあまね丸くんに対してではなく
あまね丸君でないだれかかつての思い出のなかの人に対する
話だと思う。
あまね丸君は本当ただぽっちゃりの人が好みという話をしていただけなので、
悪いことはていない。
自分自身がそれをわかっているのだ。
でも、なぜか、女の容姿、好み関係になると自分は冷静で居られない。
心が燃え上がる。泣きそうになる。
たぶん、それは私がまだ醜恐恐怖を克服していないからだと思う。

休養中

ついに体調を崩してしまいました。
とりあえず
家でおとなしくネームを書きすすめようと思います。
ネームぱぱっとやれればいいのですがなかなかスピードがだせません
なんか情けないです。
とりあえずは机に向かっていますが、
まだ、自分のペースにいけなくて。
それでも止まらず地道頑張っていく予定です。
それだけが私の取り柄だから。
今日は久しぶりに外出しました。
下北沢の劇場で知り合いの劇を見ました。
劇というものをはじめてみたので、凄く面白かったです。
私の数少ないマンガ家志望友達にもあえて
嬉しかったです。
とにかく、、、とにかく前へすすまないと、、、。

だるい文ですみません。
ちょっと体の中から力が抜けてしまいちゅうで、
しかも冷静な判断とか今できない感じです。
なんか変な発言をしてしまいそうで怖いです。
たぶん疲れているのだと思います。
とりあえず休みます。
ネームだけに集中します。

こんなにも絵を描くのがつらいなんて、、

絵が上手く描けない。
ここ2、3日前回散々な結果であった
ときわ壮のイベント(※)の課題をやり直している。
(一番下の画像がその課題です。散らかった机を書くという課題でした。)
私は今まで、漫画家になりたいのにも関わらず、
画力という課題から、逃げてきたので、今ヒーヒーいいながらやっている。
イベントで講師のからにいわれたことは
「物の大きさがちぐはぐなこと」
「線の強弱がうまくできていないこと」
だった。
それだけでも治そうと課題をやり直した。
物の大きさは前よりはリアルになった気がする。
でも、線の強弱が上手く描けない。
優秀作品を見ながら一生懸命線を引くが全然駄目。
優秀作品はちゃんと太いところは太く、
細いところはとことん細いとメリハリがあるのに、
私が書いたのは、
ぜんぜんメリハリが出ない。
太くしたいところは、Gペン(太くかけるペン)
にして
細くしたいところは丸ペン(細いぺん)で
書いてるのにぜんぜん上手く行かない。

昔予備校時代に1年間みっちりデッサンを勉強したのに、
上達しなかったあの時の嫌な思い出を思い出す。
呪文のように「お前は上達しない人間なんだから何をしても駄目」
と台詞が頭の中でぐるんぐるんが回って、
パニック状態になった。
とにかく昔から私は、
線をきれいにとか丁寧に仕事をするとかが全然できないのだ。
今回も駄目なの?
不器用な自分は一生治らないのだろうか?
涙が出た。
普通の漫画家候補の方はちゃんとできることが
私にはできない。
それがとてつもなく悔しい。

ああ、手が自由に動かない、、、。
今まで、ずっと絵を描くことが面白かったのに、
こんなにまんが絵を書くことが苦痛になったのは
初めてだ。
頭も固くなってきて、
できた絵は汚くてしかも硬いつまんない頭の人が書いたような絵になった。
こんなの自分の絵じゃない。
私が書きたかったのは、こんなつまんない絵じゃないのに、
つまんない絵しか描けない。
3回書き直したのにそれでも上手く書けなくて、
それが辛くて、つらくて、
知り合いに相談してしまった。

自暴自棄になって
「私はもう駄目だ」的なことを言ってしまった。
上手く絵が描けないからといって、
まんが家になることをあきらめる気はない。
そのときはその時で、別の戦略で行けば良いと思う。
ただ、絵がうまく描けないということは
一般的なルートでは漫画家にはなれないということを示していると思う。
それを認めるにはやはり時間がかかる。
もうちょっともがいて、
私が本当に絵がうまく描けない人間だとわかってから
でも遅くないと思う。

とにかく今は絵がうまくなるようにもがいてみたい
でも、工夫しても工夫してもうまく行かなくて、
頭がイライラして、自己否定感が頭のなかを支配しだした。

知り合いは
「わからないときには講師の方に聞けば良いのでは?
 そのためのアシスタント講座でしょ?」
とアドバイスしてくれた。
そうだ、、、忘れていた。
わからないことは聞いても良いのだ。
全部自分の力でやらなくちゃって思っていたけど、
私はまだ、自分で考えてできるほど、優秀な人間ではないのだ。


ときわ壮のアシスタントのイベントは全3回。
あと2回で私が他の漫画家候補と同じレベルになることは
難しいかもしれない。
でも、それでも少しでも近づけるよう一生懸命頑張ろうと思う。
それだけできっと何かはえるものがあるはず。
参加させて下さった、コトバのアトリエのスタッフさんには感謝です。
精一杯勉強させて頂きます。


とりあえず、課題は今から
あと一回だけやり直して、
それでも上手く行かなかったら、
イベント当日講師の方に相談しようと思う。
それで答えが見つかるかはわからないけど。

でも、あと一回だけ、自力でもう一回書いてみようと思う。


※うめさんのアシスタント力トレーニング講座

自分の傲慢さとゆがみ

4月に巨椋さん宅でアシスタンをさせてもらった夜、
ついでに飲み会にも参加させてもらった。
そのときに、自分の心のゆがみについて、
巨椋さんに話した。
実は私は、人があるグループ内で孤立しているのを見るのが苦手だ。
学校でもコミュニティでも、そうだが、一人でぽつんとしている人が居ると、
何だかその人が自分のせいで、ひとりぼっちな気がして、胸が苦しくなる。
ものすごい罪悪感を感じる。
巨椋さんにも、NPOのスタッフの仲間にも言われたことだが、
周りに起きるトラブル(?)が全部自分のせいだと思うことは、
傲慢だという。
確かにそうだ、自分一人にそれだけの影響力があるって思うこと自体がおかしい。
うぬぼれているんだと思う。

でも、それが傲慢だからと言って、なかなか治せなかったりする。
やっぱり自分の身の回りでトラブルが起きると、
全部自分のせいな気がしてつらい。

そういうと、巨椋さんは、
「それは昔何か自分のせいだと思った経験があるからなんじゃないか」
とアドバイスしてくれた。
その瞬間何かがぐさっと来た。
言われた瞬間は思い出すのが恐くて、考えないようにしていたが、
今考えると、
それは、「自分に使われた教育費」ではないかと思う。

母はよく「あなた達(私や姉)のおかげでうちは破産寸前だわ」
と言った。
実際、実際は私の教育費はものすごい額である。
学校は成績が悪かったので、
中1から高3まで高額な家庭教師をつけられ、
高校も大学私立で、しかも大学のゼミが怖くて、
一回留年した上に、就職するのが恐くて、
また、別の学校に行き直している。
なんて、馬鹿で愚かなのかと思う。
親を圧迫している。
私は本当に自分の教育費のせいで、
親の貴重な貯金を奪い取っているのだ。
だから家にお金がないのが自分のせいなのは真実なのである。

自分はなんでこんなにも高額な教育費を
親に払わせてしまっているのだろう。
そういえば、私は1度も不登校になったことがない。
いじめられていたときも、
自殺したいほどに辛かったけど
病気の日以外は毎日に行き続けていた。

今思うに、それは私にとって学校や勉強が唯一の居場所だったからかもしれない。
うちの親は私がテレビやゲームをしていると不機嫌になったし、
私が絵を書いていることをよく思わなかったし、
友達とどこかに遊びにいくことも「怠け者はしてはいけない」ということで
禁止されていた。

そんな不自由ななか、
唯一親が許してくれるのが、勉強だった。
私が勉学に励んでいると親は喜ぶ
勉強するのが苦手で、本当に勉強を頑張ることはできなかったけど、
勉強を頑張ってくるフリなら私にもできた。
例えば「参考書をかう」とか「家庭教師が来る時間をもっと増やす」とかだ。

そういう形をとることで、親には勉強している自分を演出でき、
親が不機嫌になるのは最小限で食い止められる。

私は毎回テストの結果を親に見せにいくのが怖かった。
いつも怒られた。
「なんでこんな点数をとるの」と
怖い目で母親が私を追求するのも嫌だったし、
思いっきり深いため息をついて、
「あなたは本当に馬鹿だわ」と絶望されるのも
苦しかった。

だから、私は勉強を頑張っているフリをするのに必死だった。

そうしたら、どんどん教育費がふくれあがっていった。
最終的には、
ニートになるために学校屁行くようになった。

就職が怖かった。引きこもりたかった
けど、また親に怒られるのが怖かった。
あの私を軽蔑した目でまたみられるのがとてつもなく怖かった。
だから学校を行く振りをして、親には
怠け者の自分を隠して生きる道を選んでしまった。

現在、うちの姉も、行っていた夜間の大学を卒業してしまい、
家に居場所がなくなってしまい、
といって就職もなかなかするのが難しくて、
毎週平日の昼間は図書館などで時間をつぶして、
親には「働いているフリ」して生きている。


私も、学校に行くことで、
なんとか家に居場所がある。
だけれど、学校生活の実態は留年しない程度にいっているだけで、
就職(もう歳なので)にも別に結びつかないし、
ニートするためだけに言っている罪悪感からか、
周りの頑張っている生徒さんがたと上手くとけ込めないし
話しかけてくれても、馬鹿な自分の行動を突っ込まれるのが
恐くて愛想を悪くしてしまうし、
登下校は、周りの頑張っている生徒さんと同じベースで歩くのが怖くて、
いつもダッシュで走っているし、
授業中はすぐお腹が痛くなってトイレにこもるので、
内容はあんまり聞いていないのだ。



つくづく自分は駄目な人間だなと思う。
でも親もけして「いい人間」ではないと思う。
だから、何が正しいのかわからない。
どうすれば良いのかわからない。
というか多分、根本では何をすれば良いのかをわかっているが
それを口に出して言う勇気がない。

でも、それでもひとつだけわかることは、
今の親にニート的な自分を隠して、学校にいくフリをするという行為は
確実に間違っていると思う。

だけれど、やっぱりまだ強くなれなくて、、、
とにかく、
いつか自分の意志でちゃんと、この無駄に言ってる学校を
やめることができたらなと思う。





あと、また好きな絵をチェック↓
知り合いから聞きましたがゴッホは、
かなり慈悲深い人で、道にホームレスが居ると、
自分が裸になるくらい服を脱いでホームレスに与えていたそうです。
そんなことできるなんてすごいなと思いつつ、
おっさんがさっきまで着ていた服をもらっても気持ち悪くて
私ならきたくないなあと思っていたら、
やっぱり、ホームレスの方々もゴッホから服をもらうのを
迷惑に思っていたそうです。笑
なんか、自分の気持ちと相手の気持ちがかみ合ってないが感じが
すごく人間らしいなとおもいました。

Remedios Varo: Unexpected Journey

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カーロ NBS-J (タッシェン・ニュー・ベーシックアート・シリーズ)

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ファン・ゴッホ 自然と宗教の闘争

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ブリューゲルへの旅 (文春文庫)

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岸田劉生 (新潮日本美術文庫)

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白井さんのキングオブニート

番組のイラストを書かせてもらいました。
オールニートのHPでは
白井さんのイラストをのせてもらったのですが
ゲストのハッチさんのイラストも頑張って書いたので、
ブログでのせてしまいます。
すみません。
放送今後がすごく楽しみです。