放送失言について

あと1、2週間くらいブログをお休みする予定でしたが、
ちょっとトラブルがあったので
今回は例外的に更新します。

また失言をしてしまいました。今月のあまね丸のニートフルライフで。

すくなくとも自分で認識してるミスは2点

1、リスナーにあまね丸くんイメージを勘違いさせるようなことをいってしまったこと。
2、その日の多分夏目さんのコーナーをだめにしてしまったこと。
です。

2は1の件で、ちょっと言い合い(?)になったので、
それで夏目さんのしゃべる量を減らしてしまったのではないかと考えています。
すみません。

それで、本題の1番。
あまね丸くんのイメージを勘違いさせるとは、ダイエットの話で、
夏目くんや、あまね丸くんが女の子はぽっちゃりしてた方がいいという話で、
「やはり今後結婚して子どもを産むようなことを考えると
自分はぽっちゃりとして健康な女の子の方が良い」
という意見に対して私が
「なんかそんなこと言われると子どもを産まない人は価値がないみたいで嫌だ…」
と言ってしまったことにより、
聞いた方にあまね丸くんが子どもを産まない女の人には生きてる価値がないと
いったように聞こえさせてしまったこと。
あまね丸くんは多分単にぽっちゃりとしている人が好きといいたかっただけで
感情的になってしまった私のせいなので、
あまね丸くんがもし「子供を産まない女の人に価値がない」と解釈されてしまっていたら
それは違うのでよろしくおねがいします。
自分自身もあまね丸君がそうでないことは長いこと会っていてなんとなくわかる。

ただ、今日カウンセラーと相談したのだけれど、
なんであたしこんなことしちゃうのかなって考えてたら、
そもそも、ぽっちゃりとか子供とかは私のコンプレックスキーワードで
冷静でいられない話題なのかもしれないと思った。

まず、「子供」
私は子供を産む気がない。

理由はいっぱいある。

1 純粋に子供が嫌い。自分が子供の頃は我慢ばっかりしていたのに、
  わがままで親に愛される無邪気な子供がとてつもなく憎い。

2 虐待しそうだから。自分が親から愛をもらってないのに、
  愛し方も知らないのに自分がなぜ子供に無償の愛を与えなければいけないのか
  意味が分からない。

3 うちの母親みたいな親になりたくないから。
  自分の不幸を全部子供や他の環境のせいにして(私もだが、それでも嫌です)、
  自分の幸せのために人生を生きず、子供を教育することに依存して、勉強漬けにして追  い込んだ。
  (多分母親が自分の幸せのために生きれなかったのは、当時の時代背景と祖父母のせい。  でも、それでもゆるせない。)
  そして、そんな母親にはなるまいと思っていたのに、
  ある日近所の子供と一緒に居る時、私はその子に母親と
  同じひどい扱いを無意識にしたことがあるから。
  私も母親になったら同じことを繰り返すと思った。

4 漫画を描く時間を子育てにさきたくない。
  漫画家をやりながら子供を産んで育てている人も居るだろう。
  でも、私の場合はただでさえ歪んでいるので、
  子育ての力を抜くとうちの母親のように子供を追い込んでしまうかもしれない。
  少なくとも私が子供に虐待しないですむようにするには、
  周囲(児童相談所とか)の援助と自分の努力と時間が必要。
  漫画をかきつつそんな時間をさくのはキツい。
  むしろ「漫画が上手く行かないのはあんたのせい!」と恨んでしまいそうで怖い。

と言う理由で私は子供を産まない


そういう姿勢で子供のころからずっと生きてきたんだけど、
昔好きだった人が
なんか結婚の話題で、
「ボクは結婚したら子供が欲しい。
なぜなら、やっぱり自分の生きた証を残したいから」
といって、
私は子供を産まないから
生きた証が残せないから、
生きてる価値がないんだ。って解釈しちゃって
そしたらすごく悲しくなった経験があって、
自分には生きてる価値がない気がしてきて。
それが、「子どもを産むようなことを考えると
自分はぽっちゃりとして健康な女の子の方が良い」
という意見に対して私がそのときの気持ちを思い出して
過剰反応してしまったんだと思う。




次、ぽっちゃりって言葉。


わたしは二十歳くらいまではちょいポッチャリ体系で
さらに醜形恐怖だったので、常に食事を減らしたりして
やせようとしたり、でも、食べ物だけが自分のストレス解消だったり、
親への愛表現だったりで(私は教養がないのと文脈が読めないので、
親や親戚の会話にまともについていけなかった。だから親が作ったものや
親戚からもらったお菓子をお腹いっぱいでも、
不味くても美味しいといって食べることでしかコミュニケーションがとれなかった。)
食事制限してもすぐ我慢できず食べてしまう。
んで、さらに運動にもコンプレックスがあったから、
筋肉もなくて姿勢が悪くて服とかもどの服着ても決まらないし、
半袖を着れば脂肪だけのだらしない二の腕がでる。
ミニスカートも太ももがだらしなく垂れ下がればおばさんくさくなる。
そんな時代があって、男の人たちが私をみて「この女は勘弁だな、、。」とか
思っていたんじゃないかと思っていたので、私が頑張ってやせることにした。
んで、食事制限はむりだから、せめて運動でもしようといろいろ鍛えたら
53キロくらいだった体重が47キロになって、
ある程度筋肉がついたので、服も前よりは似合うようになって
オシャレもできるようになった。(ちなみに今はオシャレはしてないし、少し体重が増えた。笑)
そうすると今まであった頭痛とか肩こりも少なくなって、
気持ちが楽になって、でも骨格の問題なのか並み以上に飯は食べているんだけど、
頬がこけたりして、今度は逆にやせ過ぎだと言われたり。
でも、別に不健康ではなく、というか前より体調はいいくらいなので、
なんかジレンマというか、じゃあどうすればいいのよ。
という短期な自分がいたり。
だって、頭が痛くて太ってるより時は服も着こなせなくて辛くて、
男の子と話すのが怖かったもの。
でも、やせたらまず体調がすごく良くなったし、女としてみられているかは別として
路上で人にくすくす笑われたりしなくなったし、自分自身も以前よりは人と上手く接せられるようになったもの。
まあ、ようは自己満足なんだけど、、。大汗
そんなんがあったから、ぽっちゃりという言葉や「きれい」になる努力をする人をやや否定的にいわれると
なんか冷静になれない自分というのがいたんだと思う。
(きれいになる努力を男の人が否定的に言う場合、別に相手を否定している訳ではなく、そのままでも可愛いという
フォローの意味が強いことはわかっているのに、、。)
※きれいになる努力は空回りな努力も含む。
でも、よく、男の人が女の子を安心させるためにぽっちゃりしてる子が良いってくれる人がいるけれど、
(それ自体はものすごっくうれしんだけれど)
私はなんとなくそれを女の子が単純に受け取るのはなんか危険な気がする。
だって、男の子がみてるぽっちゃり体系の女の子と私タイプのぽっちゃりはちょっと違う。
男の子が見てるぽっちゃりは「健康的なぽっちゃりかつ女らしいもの」であり、
最終兵器彼女のチセちゃんみたいな感じ)
私タイプのぽっちゃりは「不健康なポッチャリ」であるからなのだ。
(ビジュアル的には映画「ジャーマン+雨」の主人公みたいな感じかな?
この子はまあ健康体なんだけど、、姿勢が悪い。表情筋が鍛えられてない。)
「健康的なぽっちゃり」はある程度筋肉があるので、
ふっくらしていてもカラダがしまっていて、ある程度はウエストもあり、肌色もよく、
元気でハキハキしているタイプである。
逆に「不健康なぽっちゃり」は
たとえ体重が「健康的なぽっちゃり」と同じ体重だとしても姿勢が悪いので、
くびれ等胸のハリ等、女性らしいものがうまれず、肌もカサカサでクマがあって
、猫背で疲れやすく元気がなく内向的タイプなのだ。
そんで、実際ぽっちゃりして可愛いとモテるのは
「健康的ぽっちゃり」さんなのだ。
だから、その「不健康なぽっちゃり」さんをうけいれてくれる王子様があらわれるなら、
そらハッピーなんだけれどそれってまれだ。
だから、もし男の人にそういうふうに言われても、
私はやっぱりその人の言ってるぽっちゃりと
私の考えているぽっちゃりは違うんだなとは思う。

、、、っと、
とにかく「子供」と「ぽっちゃり」は私のキーワードらしく頭の中が止まらなくなる。
多分それは多分自分が「生きた証を残したい」といった好きな人や
昔太っていることで誰かに嫌なことをされたときに、言い返せなくて、
でも不満はたまって、イライラして、ずっと口に出せなかったことが、
あまね丸君の内容がたまたま「ぽっちゃり」「子供」というキーワードを
含んでいただけで吹き出してしまったんだと思う。
私がしゃべってたことはあまね丸くんに対してではなく
あまね丸君でないだれかかつての思い出のなかの人に対する
話だと思う。
あまね丸君は本当ただぽっちゃりの人が好みという話をしていただけなので、
悪いことはていない。
自分自身がそれをわかっているのだ。
でも、なぜか、女の容姿、好み関係になると自分は冷静で居られない。
心が燃え上がる。泣きそうになる。
たぶん、それは私がまだ醜恐恐怖を克服していないからだと思う。