仕事にやりがいを求める事は良い事?3

前回は、
夢ややりたい事は簡単に手に入る訳ではないのでは?
という事について話しました。


もう一つ言いたい事があって

そうやって努力して手に入れた夢でさえ、
決して「確かなもの」ではないということもお伝えしたいです。
私は漫画は書けるようになりました。
でもだからといって、何の肩書きもありません。
これから漫画を頑張り続けたって、
賞がとれる確証はないし、
デビューだって出来るかわかりません。

それに、引きこもっていたときにシュミレーションしたのですが、
自分が漫画家になった場合どんな事になるかをイメージをしてみました。
すると、どうかんがえても、長い間継続的に漫画を書いて暮らせるほど、
自分に才能がない事がわかりました。
なぜなら、私は圧倒的にネタの引き出しが少ないからです。
今自分が書けるのは自分自身の事や自分に近いネタです。
精神病、性的トラウマ、恋愛トラウマ、親子母子関係。
その程度です。
そんな少ないネタで、
何本も面白い作品を書き続けられる事が出来るなんて
想像できません。
しかも、引き出しを増やしたくても、
それ以外のことを勉強しようとしても、
どうしても興味が持てません。
つまり、私は仮に漫画家になれても
一発屋くらいしか出来ない才能の持ち主なのです。
今のところ一発屋にならないようにするための
かつ、自分ができる解決手段が思いつきません。
だから、私は
それなら、枯れるまで、ネタが尽きるまで、
同じテーマや書き続けよう。
掘れるところまでテーマを掘り下げてみようと思ったのです。
そして、「もう書きたいことない」と
頭が真っ白になるまで書く事が出来たならば、
そのときやっと別のテーマや物事にも興味を持つ余裕が出来るのではないか
と思いました。


だから、夢があるからって未来が確実なわけではないのです。
私がデビューできなかったら、
結局「漫画家になる」ことを言い訳にしてニートして親に甘えていた
という事実しか残らないのです。
そして今の私は、まだそれなのです。
ニートが漫画家をめざしたところで、
結果をださない事には、評価なんてされません。
だだのいい年した「自分探し系ニート」として見られるだけです。
普通の大人としては扱ってもらえません。
だから、夢があっても、
周りの人からの評価は普通のニートの方と変わりません。

でも、
「夢がなくたって、あったって一緒だよ」という気もありません。
正直言えば、夢がなかろうが、あろうが、
痛みとか苦しみは一緒だと思います。
でも、目標がある分夢を持っている人の方が、
生きやすいかもしれません。
いや、生きやすくはないな、、。
夢があったって生きやすくないし、苦しい。
ただ、夢という目的がある分
自分の身に起きた事を
少しだけ前向きに考えられる事ができるし
、死のうとも思わないかもしれません。
おそらく「夢が叶うまで死にたくない!」と
思うでしょうし。
だから、そういう意味では、
夢がない人よりは良い思いをしているのだと思います。
そこは認めなくてはなりません。



夢が欲しいけれど、見つからなくて困っている方は、
この世にやりたいと思える事が存在しない訳ではなくて、
そういう職業に出会って好きになるには時間が必要だったり、
もしくは、自分が何が好きで、何が向いてて、何がやりたいかを
まだ知らないだけではないでしょうか?
だから、これから見つかるチャンスは死ぬまでずっとあると私は思います。
これが万人に通用する理屈だとは思いませんが、
少なくとも自分はそうでした。

私はずっと感情を押し殺して、親に愛想振りまいて生きて来ました。
そうすると、だんだん自分が何を考えているのかがわからなくなるのです。
親や周りの人が何を考えているかに意識を集中しすぎて、
自分の感情を無視して生きてきたので
自分のやりたい事と親が望んでいる事と他人に期待されていることを
ごっちゃにしてしまうのです。
だから、勉強が苦手で好きでもないのに、「頭のいい大学にいってほしい。」
という親の無言の期待を自分のしたい事だと勘違いして頑張ってしまったり、(※)
でも、それは本質的には自分のしたい事ではないので苦しくてしょうがなかったり。
夢に関しても出来るだけ、親にあわせようとしました。
漫画家はみとめてもらえないから、
親の望むような
ちゃんと社員や収入がありそうな事務や公務員(をやりつつ漫画を描く)、
またはデザイナー(ホントはかなり低賃金)を目指そうとしたり。
たしかな安定した収入で自分のしたいことやれば、
親の期待にもこたえられて、自分もしたい事ができてハッピーなんて考えていた。
自分がそんな別の仕事を掛け持ちしてできるほど器用な人間ではなかったのに。
「常に頭の中には親の期待があって、それを自分がやりたいからやってるんだ」
と思い込もうとした。
就職活動もそう。
大学の進路科の人に、
「今は求人倍率高いけど、来年にはすぐまた就職氷河期が戻ってくるから。」といわれれば、
その人が私に何を望んでいるのかを察知し、
その人が望んでいる私像と私自身が望んでいる自分像を
ごっちゃにして、「ちゃんとした正社員」になろうとした。
そんな風に、
相手の期待に応えて
自分が本質的にはやりたくない事をして挫折するのは当たり前なのに
「これは私がやりたい事なのに自分は怠け者だから、続かなくて駄目人間なんだ」
「私はなにも続かない」「やりたい事がない」
と嘆いていた。
だから、
自分の感情を押し殺して、人に会わせるタイプの人は、
まず自分が何をしたいのかわかるのにすごく時間がかかるんじゃないかと私は思う。
親の期待も他人の期待もなしに
本当に自分が何をしたいかがわかって、
それを継続的に頑張って面白いと思えたときに、
やっと自分のやりたい事がみつかるんだと思う。
それが、
「働かないでニートして親にすがってでも漫画家になりたい」
というのが私の本当の気持ちだった。
これがいかに自分勝手であるかは承知の上だ。
でも、そんなわがままな自分の欲望でさえ、
もし本当にそういう風に思っているならば、自覚しないと駄目だと思う。
人は、タブーを犯さないですむ事はできるけれど、
人は正しい事ばかりを考える事は出来ない。
誰だって自分勝手。
人には欲望があるから、ズルでも良い思いがしたい。
誰かに深く傷つけられたら、その人に復讐をして、深く傷つけたいと思うはずだ。
自分の欲望を自覚しない事は
ただ自らの心の強欲さに気がつかないだけで、
結局無意識に自分勝手な事をしてしまうのだ。
(つまり、無自覚な加害)
だから、自分の勝手さ、欲望=
自分のやりたい事に気がつかなければならないと思う。
それに気がついた時に、
それを実行するのか、それをしないためにはどんな解決方法があるのかを
考える事できる。
だから、
私は働かないで、漫画を描いた。
んで、それをやってみたら、
やっぱり学校には限界がきて、
少しでもバイトして、漫画をかかないとだめだと思った。
んで、けっきょく働きつつ、
漫画を描くというのが現在の私の決めた道だ。
それは前のほうに述べた親の期待する、
「事務や公務員等何か別にメインの仕事をやりつつ、趣味で自己実現する」
と一見似ているのだけれど
そうではなくて
働かないで漫画を描くことを実行してみて、
それに限界がきて
「じゃあ、少し働こうかな」
という
一度欲望のままに生きた上で考えた結論なので、
これは親の期待でもなんでもなく自分の意志だと心の底から思える。

よって、人に気を使いすぎる方や人の欲望を最優先で考えてしまうような人で、
やりたい事がほしいと悲しんでいる人がいるのなら
それは別に本人に素質がないとか、
みつからないとかじゃなくて、
自分が何が好きで、何が向いていて、何がやりたいのか、
自分の欲望に正確に気がつけないだけだと私は思う。
すくなくとも、自分勝手に行動する人よりは
相手の欲望を優先してしまう分
自分の本心に気がつくのに、
努力と時間が必要なのだと思う。
それと自分勝手な人は、
人前で堂々と自分勝手な事をするので、
誰かが不快になったときに
「それやめて」とか相手に指摘しやすいので、
自分の弱点に気がつく事ができて克服もしやすい。
逆に、周りに気を使っているのに、
無意識に自分勝手な人は、
自覚してない分だけ、
その自分勝手さが見えにくいし、
それで誰かを不快にさせたとしても、
指摘しづらいし、
本人も理解できないので、
誰かに指摘されてもピンと来ない。
だから
有効な失敗ができないんじゃないかと思う。

といっても、自分勝手な人が好きかというと
また別なんだけれど。



※マンガ学科を受けておちて、すべりどめの低偏差値大学に行ったが、
その後もまた有名、一流大学受験や編入をしなくてはと悩み考え続けた。