仕事に夢ややりがいを求めるのは良い事?2

前回はすべての仕事にやりがいを見いださなくてもいいのではないか
みたいな事を話したんだけど、
そんな事いろいろ考えてたら、
だんだん漫画家になりたいという夢をみている自分に罪悪感がでてきて、
「うらやましい」といわれたときに
どうリアクションしていいのかわからなくなった。

別に生まれた時からやりたい事があったとか、
たまたま運良くやりたい事をみつけたとかそういう簡単な事じゃなくて、
その選択をするまでにいろいろ挫折してきたし、
少なくとも努力なしに得たものではないことだけは伝えたくて、、。


絵を書くのが好きな人って比較的多いと思うんだけど、
そういう人は1度くらいは画家やイラストレーター、漫画家
アニメーター、デザイナーになりたいと思った事があると思う。
私も実際、漫画家になりたいと思う前はゴッホみたいな画家になりたかった。
でも好きなようにかくのと、人に評価されるまでのレベルに達するまで書くのは
ぜんぜん違って、デッサンとか美術の勉強とかつまんないし、
絵が好きだからって、なかなか頑張れる訳じゃないんだなって思った。
それで、次に漫画家になりたいと思ったんだけど、
それは実は漫画を描くのが好きなんじゃなくて、
当時私はいじめられていて、辛くて、悔しく
いじめた奴らになにかぎゃふんの言わせたくて、
「大人になったら有名になって見下してやる」が
「漫画家になって見下してやる」になったのががきっかけなので、
本当はべつにやりたい事でも好きな事でもなかった。
(絵が好きだったので漫画家ならなれるのではと浅はかなことを考えただけだった)
んで、中学生になって、相変わらず漫画家になりたいとは
言いふらすんだけど、
ストーリーとか思いつかなくて、
漫画も書いてなかった。(絵はかいてたけど)
ただ勉強ができなかったから、それを慰めるための道具として
「勉強ができなくたって漫画家になれる!」
と自分の頭のなかに言い聞かせて、ずっと逃げたら、
「もう漫画家になれないなら生きてる価値がない」
みたいなところまで追い込まれてった。
でもそれでも漫画は書いていなかった。
だから、漫画家になる夢をもつことで
アイデンティティを保っていたのに、
同時に漫画が書けない自分は、ただ
漫画家というブランドにひかれてるだけで、
本当は漫画なんか好きじゃないんだろうなというジレンマに
苦しんだ。
そして
その事実に気がつくのが怖くてしょうがなかった。
そうやって「夢」にしがみつくことで勉強から逃げてたんだけど、
大学受験のときにマンガ学科がある大学を受けて、
見事に落ちて自分の実力の低さを知る事になる。
マンガ学科に入るために実技の勉強が、
いままで漫画なんかほとんど書いた事がないのに挑戦したので、
ぜんぜんできなくて、
構図もコマ割りも駄目で、
ストーリ作りなんかは普通の勉強みたいに
やった分形になる訳ではないので
机に5分以上座る事さえ辛くて
白い紙の前でストーリーを思いつかない自分に苦悩するしかなかった。
そんなかんなで、何も有意義な努力もできず、落ちて、
私のアイデンティティも失われて、
そしたらそれが無念で悔しくて悔しくてしょうがなくて。
とにかくなにが1番悔しいって
「努力したのに落ちて悔しい」じゃなくて
「5分以上机に向かって漫画の勉強をする事ができない=
努力する才能自体がない」事が悔しくて悔しくて
無念で、ショックで、それからしばらく、漫画を制作する事はできなかった。
だけど、
自分の持ってる漫画単行本を1冊ずつ2〜4時間かけて
コマ割りの意味や、読者の目の動き、台詞、フォント等の意味を
わかるまで読んで分析したりして漫画をかく以外の努力は毎日し続けた。
その作業はすごく苦痛で、大変で、
でもそんな事より、落ちた事が悔しいことの方が勝ってた。
シナリオも話がぜんぜん思いつかないから、
ストーリの作り方の本やヒッチコックの映画を本読んで
そこに書いてある課題をこなして、
でも書いても書いてもつまんない話しか思いつかなかくて、
書けば書くほど自分には漫画をかく才能がない事がわかってきて、
そんな凡才な自分が情けなくて、辛くて、
100本くらいまで書いた。
映画もシナリオ作りのために、
毎日3本くらい見続けて、
映画の名場面のイメージを頭の中に覚えさせようとした。
そんな事をずっと続けていたら
一本だけ自分の中では面白いと思える話を書く事ができた。
そしたら、今までの自分が報われるような気がした。
才能がない自分でも頑張れば書けるかもしれない。
んで、その自分が面白いと思えた作品は
ストーリー作りの本に書いてあった
面白くするためにはこうした方がよいと書かれている事を
忠実に実行した作品ではなく、
単に自分の欲望のままに好き勝手に書いた作品だった。
そんで、そのとき、
私はずっと漠然と『「面白い話」を書かなければ』ということに
とらわれていたけれど、
それより、自分の書きたいものを、
自分が納得できる作品を書いて、
自分自身が何を面白いと感じられるかということの方が大切なんじゃないかと思った。
そう思い始めたら、
漫画を描く作業が楽しくて楽しくてしょうがなくなった。
そのときやっと心から、自分のやりたい事は漫画なんだと思う事ができた。
きっかけは漫画家というブランドで選んだとしても、
それでも時間をかけて努力すれば好きになれるのだと思った。
んで、その段階でもただ良いシナリオができただけで、
漫画作品自体は書いていないくて、
その後諸事情で1年間漫画の勉強ができなくて、
去年の春頃やっと初めて自分で漫画を書いてみた。
それでその漫画で担当さんがついて、
でも逃げて、また挑戦したくて、今に至っている。
だから、漫画家になりたいと言い始めたのは小6からで
早いけど、
本当に漫画を書いて、漫画を心から好きだと思って、
漫画家になりたいと思えたのは22、3歳の頃なんです。
漫画家というやりたい事を見つけるまでに10年くらいかかってるんです。

だから、やりたい事はいきなり見つかる訳じゃなくて(そんな場合もあるのかもしれないけれど)
何かを継続してやり続けて初めて本当に心からやりたいとわかるものではないしょうか。
(別にやりがいを感じられないものにやりがいを求めろという意味ではなく、
一見楽しそうだったり、やりがいがありそうな事でも面白いと思うには継続して努力し続ける必要があるということ)
才能がないからかも知れまんが、私は漫画を描くのが好き!って胸はって言えるまでの
勉強期間はかなり苦痛でした。
すくなくとも学校でやる勉強くらい、
意味が分からなくて、
難しくて、上手く出来なかったらどうしようという不安が常につきまとっていて、
すごく辛かったです。
そんなに辛い気持ちでも継続して勉強し続けられるほど、頑張れた事に対して、
「それはあなたにとってもともとやりたい事だったからだよ」
というご指摘もあるかもしれませんが、
私が続けられたのは悔しさと、
絵を書く事や頭の中で妄想する事ぐらいしか好きになれなくて、
漫画にすがるしかなかった、、。
3につづく