私の罪と罰

人間関係で傷ついたことがある。
友達だと思って会っていた人が、
私の知らないところで私のネガティブな個人事情や
不満をネットで公開していたのだ。
それが悪いことなのかはわからない。
その人に不満がたまってしまうようなことを
多分私がしたのだろう。
それとも
もしかすると、ネットでしか
自分の気持ちを表現できないくらい
ギリギリで生きている
本当に辛い人なのかもしれない
とにかく一方的にその人が悪いわけではない。
でも、私はそれがすごく傷ついた。
しばらく人が信用できなくなった。
自分のしたことをいつどこで
公開されるかわからないなら,
怖くて
誰にも心を開けない。
私の周りにいるこの人もあの人も
影ではなにか私の情報を公開してるんじゃないかと
被害妄想に陥った。
ネットで自分の書き込みがあると
もしかして知り合いが裏で書いているんじゃないかと
おかしいことを考えてしまった。

このままではいけない。

だから、本人にあった時直接言おうと思った。
「もしかしたら、私が悪いのかもしれないけど
それでも、ネットで情報を公開されてすごく傷ついた」
と。
でも言えなかった。
「あなたが影で私の情報を公開していることを
しっている」とはほのめかせたけど、
自分の気持は言えなかった。




だって、言おうしたた瞬間、私にそんなこという資格ない
って思った。



その人の生き方は私の親との付き合い方そのものだと思ったの。



私は親の前では反抗してないし、いい子のフリをしてる。
でも、漫画では親に対する憎しみの本音の気持ちを
書いて公開している。
私だって同じように親を傷つけているじゃん!
なのに私の問題は棚上げにしてこの人には責任を問うのか
と思った。



今の私の行動はあっているのだろうか?
私の創作は?
私は自分の出会った人や生きてきた経験
からマンガを描いている。
そのなかで思ったことや考えたことを描くのは罪なの?



私は自分の好きな人や自分に好意を持ってくれる人を
(たとえば本人の前で何か主張したりはするけど)
自分の不満をぶちまけて傷つけたくない。
自分が好きじゃない人が離れていくのはいいが
言いたいこと全部ぶちまけて、
自分のことをわかってくれたひとまで全員
離れていくのはやっぱりなんか変。
私の作品で私の本音を見た人は思うだろう。
「自分もいつかこの人に悪口をいわれ漫画にするかわからない」と。
だから、きっと相手は完全には心を開けない。



親への気持ちを描いた漫画は、「いつかばれて、親が怒って勘当
別にされてもいい」いいと思っていたし、
親の身元がばれないようにすれば親は傷つかないと思っていた。
それに、もっといえばあれは親への不満というよりは
「反抗期に反抗させてもらえなかった子供の悲劇」
を描きたかったのだ。
単に親がむかつくきらいという話じゃなくて
子供時代に「親を悪く思うのはダメ」と思いこまされた人が
成長して、反抗期になって親に不満を抱いても言えないで抱え込んで
大人になるとどれだけ被害妄想な考えを
もってしまうかということを伝えたかった。
親に不満を思うことはけして罪ではない、
だれにでも起こりうる普通のことなんだと。
不満を抱いて親に反抗してしまう
ことは罪ではないと言いたかった。
自分の醜い心と向き合うのが精いっぱいで、
作品「白イ」は憎しみが強く出てうまく伝わらなかったと思う。
でも、本質的には私はあれは人を傷つけるために書いたのではない。
もし親を傷つけるとしても、
あれは親を傷つけることを目的にした漫画ではなく
親に不満を抱くことで自分をダメ人間だと
思っている人にそれはあなたが極端に心が汚いのではなく
普通のことであると伝えたかったのだ。



私は漫画を人を傷つける目的のために書いてるのではない。
やっぱり人に何かを伝えたくて書いてるんだと思う。
(お金のことはもちろんあるけれど)
そう考えると、
私が経験したことや出会った人の影響を受けて
漫画を描くことは
人をけなしたり、中傷することを目的としているわけではない。
むしろ、社会のなかにあるおかしかったり
理解できない行動を深く考えて、
その人のリアルな生き様、軌跡をとおして
私のもつ「思い込み」をすこしでも
消していきたいと思っている
そして、たぶんそれはきっと社会とつながっている。
だって私は社会の中で生きているのだから




相手の何かにインスパイアされて
書くときも、
やっぱり相手のことを描いているのではない
自分のことを描いているのだ。
他者に触発されて目覚めたもう一人の
自分と向き合っているのだ。
だから、相手を攻撃してるわけではない。
他者との出会いがないとかけないのは
他者と向き合ってみないと
自分の思い込みや偏見に気が付けないから。



でも、たぶんもしかするとそれは人を傷つけているのかもしれない。
でも、じゃあ表現しているひとのほとんどは、ダメってことに
なる気がする。



それとも好きな人には好かれたいと思うのは贅沢なこと?
それを覚悟で進むのが正しいの?
それで一人ぼっちになるのもなんか変。



今、私ができることは
書くことをやめないことだけだ。
書くことを通して
何が正しいのかを問い続けてゆくことしかできない。


そして、私は傷つけたくない人を
傷つけたりして、私はいつかひとりぼっちになってしまうのかもしれない。
それが私が表現してしまったことへの
罪と罰だ。

とてもくるしい、、。