メールを頂く3
やられまんのプロットについて、メールをもらいました。
→Mさんから
ブログで書いてるマンガのプロット、俺は納得出来るんだよね。
分かっちゃいるけど、
止められないってことは、やっぱりあるでしょ。
やられまんでいることが、
ダメなことだと理屈的に納得したとしても、
そうそう簡単に変われるかよ、って思う。
そっちの方が不自然だよ。
人間そんなに簡単に変われたら、
引きこもりなんか皆ソッコー治るわw
だから、やられまんじゃダメだと思ってもやられまんで
居続けてしまうという方が話として深い。
変わるとしたら、何かもっと大きな出来事が必要だね。
輪姦されるとかじゃ、やられまんである自意識から離れないから、もっと別の方向に主人公の感情が突き動かされる何か、ね。
四季ちゃんのプロットの範疇なら、やっぱり変わらない方が良いなぁ。
→私から
やられまんをやめない結末にはこだわりたいなって思ってるんですよ
だからYさんが共感てくれてうれしいです
頭で正しいと思っていることと自分の感情はかならずしも
一致するとはかぎらないかなって思うんです
ただ話にまとまりがない感じなのでいっぱい直さなきゃ、、。
なかなか難しいです
Yさんから
「マンガの創り方」でまんがをかく10
を読みましたけど、
『結』カナはもとのやられまんにもどる
をどう表現するかがポイントかもしれませんね。
ぐるっと一周まわってきて、
元の場所に戻る。
しかし、カナの中では何かが変わっているんですよね。
変わっていなくても、全く同じということはないはずです。
その変化をきちっと描き切ると、
深みのある作品になるような気がします。
→私から
ありがとうございます。
「カナがカスオを結局好きになれない」ということばかり
考えていたので、 カナの気持ちの変化をあまり
考えていませんでした。汗
ちょっと考えてみます。
出だしのカナは周りのせいで
やられまんをしているのだと思ってます
つまり、カナは物事の決断をすべて他人にまかせ、他人のせいにして
自分では何も決められない
=カナは自分の足で自分の人生を生きてない人間である。
そんな彼女に転機が訪れる。
「私のこと誰も愛してくれない」ということを言い訳に
やられまんをし続けていたが、
その言い訳をくつがえすカスオという存在が現れる。
カスオの存在によって、
自分がやられまんなのは自分のせいであって、
他人のせいではないという事実に目を向けざるおえなくなる。
いやでも自分の本心と向き合わなくてはならなり
カナは初めて自分で物事を決断する。
それはたとえ愛してくれる人がいたとしても
やられまんである自分を変えることができないということだった。
とこんな感じなんですが、
出だしのやられまんのカナと結末のやられまんのカナで違うのは
自分の足で人生を歩んでこなかったカナが
自分の足で人生を歩いていこうとすること。
これを人に伝えるにはどうすればいいのだろう?
→出だしのカナのキャラって
- 表情や行動が一貫してない
- 他人の意見に動揺されやすい。不安定。
- かわいそうな自分を演じるのが好き
- 自分は優しくていい人間だと思ってる
- みんなに同情されたくて
「ひどいことされた」と遊ばれた男の悪口言いふらす?
- 人に怒られたり批判されても、ちゃんと受け止められない
自分は悪くないのになぜかいじめられている
としか認識でしない。
最後のカナのキャラは
- 自分の状況をわかってる
- 人に批判されても、受け止められる。
- 表情や行動が一貫している。
- 小さなことに動揺しない。
- 他人のせいにしなくなるとか、、?
ってなんか心痛い、、、
多分それは現在の自分が出だしの方のカナだから
だな大汗
どうすればその変化をわかりやすく表現できるか、、、
あ!
出だしのカナを「悲劇のヒロイン」にすればいいかも。
最初カナは周りのみんなにいろんな男の人にひどいことされて
かわいそうだなって同情されてるの。
んでカナもその「かわいそうな自分」を演じてるの。
でも、最後は、
相変わらずみんなには「男の人に遊ばれてかわいそうな子」
って思われてるけど、本人は
これは自分で選んでやってるんだからって。もう「かわいそうな自分」じゃないの。