納得がいかない

やられまんについて、実はもうひとつ気になることがあって、
それは結末だ。
私の作った箱書きの大まかな流れは、
男にいいように扱われているやられまんのカナがいて、
そこにカナを愛してくれる男の子が現れて、
幸せになるんだけれど、
実は自分が好きでやられまんをしているんだということに気がついて
結局はカスオを愛しきれず離れていく。

そんな話。
でも箱かきをよむとこれただの不幸な女の子の話で終わっている気がしてしまいます。
「可哀想な女の子がいて、やっぱりその女の子は不幸になりました。」
みたいな話で終わっている感じがしてすごくイヤ

実はこの話は私の中ではカナの成長話なのです。
人が成長するときってどんな時だろう?
思うにそれは「自分が何者であるかを理解したとき」だと思うのです。
んで、自分が何者であるかを理解するとはどういうことかというと
私の中では「自分にできることとできないことが何であるかを理解したとき」
だと思うのです。
自分にできることできないことを理解した時こそ、
自分が今何をすべきなのかという課題、道筋がみえてくる気がするのです。

んで、カナは最初は心のどこかでやられまんはイヤイヤやっているのであって、
本当は抜け出して普通の人間になりたいと考えています。
んで、カスオがあらわれて、やられまんから自分が抜け出せたとおもう。
だけど、カスオと居るとつらくて、
むしろ人に犯されて自分が男の人にいいように扱われていることに
喜びをかんじていることを知る。
つまりカナはやられまんをすきでやっているので、
「やられまんでいる自分をやめて、普通の人間になること」
は無理なのです。
それに気がついたことがカナにとって
「自分が何者であるかをしること」で、
それはカナが成長する第一歩だと考えています。
だから、この話は不幸な女の子が不幸に終わる話ではなく、
不幸な女の子が自分を知ることによって成長する話なのです。
だから結末は少しでも、前向きに書きたいです。

んで、知り合いと話し合って、
考えたのは、
大まかな筋はもともとの結末でいいと思ってます。
で、なにでカナの成長を表現しよう?
と考えたところ、
ヴィジュアルイメージというか
カナの表情で前向きさを表現しようかなと思いました。
結末、カスオとカスオの恋人が見ているところで
カナが一人で起き上がるシーン、
歩いて去る瞬間カスオとカナが一瞬目が合う。
そこでカナが笑う。
それで前向きさ、カナのこの後の行く末が
けして暗くはないことを表現したいです。

とおもったんですが、どうも笑うってなんか
このシチュエーションではいやらしすぎるというか
安っぽい感じがします。
自分がやられまんをやめられなくて、
普通の人間になれないって気がつくことは成長ではあるけれど、
すごくつらいことだと思うのです。
だから、笑うのはしらじらしいというか、
すごく軽い感じがする。

んで、知り合いからいただいたアイディアなんですけど、
まなざしで表現したらどうだろう?
「笑うほど、軽い人生ではない。でも、
私は前に進む」的なものを目を輝かせて、
カスオを直視することで表現できたらなと考えています。